※ウエスタン・キャラバン時代の古屋 紀  

昭和30年代のロカビリー全盛時に活躍した「相澤芳郎とウエスタン・キャラバン(後に田代久勝とウェスタンキャラバン)」は、ロカビリーブームの終焉とともにボーカルメンバーが次々と独立、活動の場が次第に少なくなっていった。折りしもビートルズの登場で新たなロックグループブームが到来。ウェスタンキャラバンは方向転換を迫られ、模索を続けていた。
(右のウェスタンキャラバンの写真撮影時、古屋紀は病気療養中で、代わりにブルーコメッツから移籍した小田啓義が写っている。小田はその後ブルーコメッツに戻る。)
昭和38年、ジャズ喫茶「池袋ドラム」で、野沢裕二(トミー野沢)を中心にした新たなボーカルグループ「シャープ・ホークス」が結成された。そのバックバンドとして、ウェスタンキャラバンから井上宗孝、秋山功、古屋紀らが参加。「シャープ・ホークスとそのグループ」が誕生した。
その後、ブルー・ファイヤーを率いていたギタリストの三根信宏が移籍。古屋紀のユニークな編曲と、卓越したギターテクニックの三根信宏が奏でるエレキサウンドが人気を博し、昭和40年「井上宗孝とシャープ・ファイブ」として独立する。

   
※シャープ・ファイブ時代の古屋 紀  
同年、フジテレビ「勝ち抜きエレキ合戦」にレギュラー出演することとなり、この番組でのテーマ曲演奏や模範演奏が、更に多くのエレキファンを魅了、その人気は、当時エレキブームの牽引役でもあった「寺内タケシとブルージーンズ」を凌ぐといわれる程であった。
   
昭和42年、キングレコードからコロムビアへ移籍、リズムギターやベースメンバーに交代などがあったが全国各地でコンサート活動を続けた。昭和43年に発売されたエレキインストルメンタルアルバム「春の海」はLPヒットチャート1位となるなど、数々の「伝説」を創り上げていった。その後昭和45年にキャニオンに移籍、ここでも話題となるLPを多く発表した。
 
昭和49年に三根信宏、古屋紀が脱退。井上宗孝は若いメンバーを集めて活動を続けたが、昭和55年に解散。三根信宏はディックス(その後サウンドウェポン)を結成、古屋紀はザ・フレシュメン(その後ソロプレーヤ、現在はカラオケ教室も主宰)として音楽活動している。井上宗孝は平成18年まで「都はるみ事務所」代表取締役を務めた。ベースの伊藤昌明は宮間利之とニューハード、宮川泰率いる「名匠・宮川組」などを経て、現在スタジオプレーヤとして活躍。リズムギターの山内英美は、鎌倉でライブハウス「蝶屋」を経営。メンバーそれぞれが音楽と関りながら、シャープ・ファイブサウンドをいつでも演奏できる関係を築いている。
   
平成6年には東京中野サンプラザで「20年ぶりのシャープファイブ・コンサート」を開催、さらに平成19年には井上宗孝の古希を祝ってCDアルバムが発売された。同年に東京星陵会館で開催された「井上宗孝とシャープ・ファイブコンサート」は、オリジナルメンバーが集まって演奏が披露されたこともあり、多くのファンから「シャープファイブ再び!」の声が上がった。おりしも「おやじバンド」ブームで、インターネット上でも大きな話題となり、ファンの声に後押しされるように、日比谷公会堂でのGSカーニバルでのゲスト出演、NHKGS大全集への出演などが続き、往年のエレキファンを喜ばせている。
   
平成20年には、コロムビア在籍時に発売されたLPアルバムがデジタル音源化され、6枚組CDセットとして発売された。
 
 
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